2024.09.18
第78回つくば歩の会活動報告
東京支部第78回つくば歩の会「江戸情緒の残る東海道「品川宿」の歴史散歩」
実施日:2024年5月31日(金)
担当幹事: 鈴木 紘一
「品川宿」を観光ガイドさんの案内で歩きました。参加者は6名と過去最少の人数でしたが、それが幸いして「ガイドさん密着型まち歩き」を堪能しました(写真を見れば分かりますよね)。ガイドさんも頑張りました。参加者全員が何らかの新しい発見をお土産に帰宅されたと思います。少人数も濃密で、参加者同士の会話も弾み、とても良いものだと改めて感じました。 品川宿には往時と変わらない道幅の街道沿いに、史跡、神社仏閣、看板建築が残されており、それらを巡ってきたのです。品川宿とは現在の品川駅から南へ、八ツ山橋を渡ったところから宿場が始まり、徒歩新宿(かちしんしゅく)、北品川、南品川の三宿で構成され、京急線・青物横丁駅近くの品川寺まで続いていました。これを制覇してきました。
映画・ゴジラの第1回作品で、上陸の第一歩を印したのが八ツ山橋です。まち歩きもここからスタートです。最初の史跡は「問答河岸の碑」家光と沢庵の禅問答から付いた船着場の名前です。次いで「土蔵相模跡」桜田門外の変、英国公使館焼き討ちの舞台となった旅籠跡、「船溜まり」は品川百景。「利田神社(かがた神社)」には「鯨塚」がある。体調16.5m、高さ2mの鯨でした。神紋もユニーク。ここでは品川浦の生活を聞きました。台場小学校前にある「御殿山下砲台跡」は品川台場の一つ、「溜まりや横丁」は北品川と徒歩新宿の境目、「丸屋履物店」は江戸時代から続く下駄屋さん、「一心寺」は成田山の分身が祀られており参拝者が多い。知恵を与えてくれる「虚空蔵尊」、虚空蔵横丁にはレンガ塀があり、雰囲気ががらりと変わりました。「品川神社」には石造鳥居・富士山の溶岩で造られた品川富士があり全員が登頂成功・他に板垣退助墓、銭洗いがある。特別に2㌧もある葵神輿を拝観できた。品川健康センターで休憩して後半戦に挑む。「問屋場跡」は宿場の役所で、海路、陸路の物流を管理し、貫目改所も設けられた。「荏原神社(えばらじんじゃ)」は南品川と北品川の鎮守様。「釜屋跡」は土方歳三など多くの有名人が使った茶屋の跡。最後は「品川寺(ほんせんじ)」。ここもだけど難字が多い。ここは品川で最も古い寺。明治時代にパリ万国博覧会へ出品された大梵鐘がある。60余年を経て里帰りしたものです。ここで解散としました。
日光街道、水戸街道の起点、千住宿を歴史散歩したばかりでしたので、2つの宿場を比較してみると似ていることに気づきました。宿場を構成する要素の本陣などの役所、荷役場、旅籠、寺・神社が多いなどとても似ています。海を背景とする品川、陸地の千住の環境の違いは宿場の構成に影響を与えると勝手に思いこんでいましたが、認識は間違いでした。
幕府統治の在り方に強い意志を感じました。
これが私のお持ち帰り土産です。