2026.05.19
ミニ講演会「弘前藩と石田三成 津軽弁と医学用語」フレキシブル同好会その①
東北支部
東北支部 フレキシブル同好会報告 報告者:櫻谷 務
「会員講師による小集会」の、4回目報告です。
日 時:2026年5月14日(木)
テーマ:「弘前藩と石田三成 津軽弁と医学用語」
講 師:支部長 加福雅行さん
内 容:(抜粋)
下記の3テーマを分かりやすく、面白く講演されましたので、内容の抜粋を
ご紹介します。
【弘前藩(津軽藩)と石田三成】
【津軽弁と医学用語】
【津軽の不思議な物&歴史】
1) 弘前藩(津軽藩)と石田三成
*石田三成 無くして津軽藩無し・・・*
・1491年:南部家家臣 南部光信(後大浦)が種里(鯵ヶ沢)に移住
・1502年:大浦光信、大浦城(現弘前市岩木町・津軽中学校)を築く
・1567年:為信(藩祖:津軽為信)大浦氏の婿養子に・・大浦城主
・1591年:為信、南部氏攻略・・・堀越城(現弘前城)を築城
<津軽藩の第一歩>
石田三成に取り入る・・・豊臣秀吉(太閤)から4万7千石拝領
石田三成の三女(辰姫)・・津軽2代藩主 信牧の正室→側室・・津軽3代藩主 信義の母
石田三成の次男(重成)・・津軽為信嫡男(信健)が豊臣秀頼の小姓
関ヶ原の戦い・・・・津軽の地に逃れる
石田重成は、杉山源吾と改名(現:板柳町に居住)、「杉山家」として
津軽藩で存続し、家老職など重職を勤める
石田三成の末裔は、現在、青森市に居住(18代目)
*明治になるまで石田三成&豊臣秀吉に対する「恩義」を忘れず!
2) 津軽弁と医学用語
*何故、どの様にして津軽弁が確立されたか?(諸説あり)
・アイヌの言葉と融合した?…江戸時代中期に確立
・旅人、隠密と津軽の区別
・・・他地方の人、幕府役人、他藩に弘前藩の内情が知られないようにするため
★津軽弁管理・普及:「早走の者(忍者)」:棟方家(現存)
*津軽弁と医学用語
・津軽弁の特徴・・ 「一文字」「短文」「・・・こ」
「一文字」 例:「わ」→私 「な」→あなた
「短文」 例:「な・どさ?」→あなたはどちらに?
「・・・こ」 例:「名刺+こ」→りんごっこ
・津軽弁「け」(ケ)の聞き分け→これが出来れば一人前!
け・・・・・・・・・・・・毛
けっ・・・・・・・・・・痒い
けぇ・・・・・・・・・・食べろ!
けぇ~・・・・・・・・下さい
けっこ・・・・・・・・おかゆ
・医学用語 津軽方言と方言文化-医療用津軽言葉(石戸谷先生著)より
★体のどこの部位でしょうか? 皆さん考えてみて下さい!
・あくど ・よろた ・なずぎ ・ぼんのこ ・まなぐ
★どの様な症状でしょうか?
・あだり
★何をする事でしょうか?
・じゃんぼかる・・・・・・・・・・正解はその2に・・・・・・・・・・
3) 津軽の不思議な物&歴史
*弘前市新寺町:遍照寺(浄土宗)1645年創建
→赤穂浪士義士:間 新六の遺髪と供養塔
→疫病退散の秘仏:薬師如来木造(50年で開帳)
コロナ感染症時、特別に開帳しコロナ終息
*久渡寺(修験道)
→円山応挙の足のない幽霊画(日本初 足がない画)
*禅林街(33ケ寺)
→津軽藩主菩提樹(長勝寺) 33ケ所のお寺
→白壁+堀・・・弘前城落城の際の避難場所
*義経寺(ぎけいじ)
→源義経が中国に亘る前に身を隠した
*津軽藩・御殿医 3家
→鳴海家(なるみクリニック) 伊東家(いとうクリニック) 小野家(弘前小野病院)
*津軽藩家老(城代)
→大道寺家・・角弘(カクヒロ:プリテオグ)
→唐牛家・・弘前相互B/K(青森みちのくB/K前身) *津軽華子様・・常陸宮